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なぜ桜ソングの中の桜は申し合わせたようにいつも「舞い散る」のか?

なぜ桜ソングの中の桜は申し合わせたようにいつも「舞い散る」のか?

春になると桜ソングが流れ始める。

卒業式の帰り道だったり、新しい生活が始まる季節だったり、日本人にとって春と桜は切っても切れない関係だ。

私は昔から、この時期になるたびに気になっていたことがある。

なぜ歌詞の中の桜は、みんな同じように舞い散るのだろう。

いや、桜だから散るのは分かる。

でも歌になると驚くほど同じ表現が出てくる。

桜は咲き誇り、そして舞い散る。

また舞い散る。

次の曲でも舞い散る。

気づけば日本中の桜が舞い散っている。


「桜舞い散る」は本当に多い

例えば森山直太朗の『さくら(独唱)』。

春の定番曲として今でも歌われる名曲だ。

タイトルからして桜そのものだが、歌詞には「咲き誇る」と「舞い散る」の両方が登場する。

まさに王道中の王道である。

そして中島美嘉の『SAKURA〜花霞〜』でも、

さくら舞い散る

という表現が使われている。

いきものがかりの『SAKURA』もそうだ。

歌詞を細かく見ていくと、「桜が散る」「桜が舞う」というイメージは本当に頻繁に登場する。

もちろん桜ソングは何百曲もあるので全部が同じではない。

しかし桜をテーマにしたヒット曲を眺めていると、

「桜=散るもの」

という共通認識があることは間違いなさそうだ。


最初は語彙力の問題だと思っていた

正直に言うと、昔の私は

「もっと別の言い方ないの?」

と思っていた。

たとえば、

  • 風に流れる
  • 川を漂う
  • 足元に積もる
  • 空へ吸い込まれる

など表現はいくらでもある。

それなのに、なぜみんな「舞い散る」なのか。

作詞家同士で打ち合わせでもしているのだろうか。

そんなことを考えていた。

しかし調べていくうちに、これは語彙力の問題ではない気がしてきた。


歌詞の中の桜は、もう花ではない

歌詞に出てくる桜は植物ではない。

別れであり、

卒業であり、

青春であり、

旅立ちである。

つまり桜という単語そのものが、一種の記号になっている。

そこに「舞い散る」が加わる。

すると今度は、

「美しいけれど終わってしまうもの」

という意味まで一瞬で伝わる。

実際の桜を説明しているのではない。

人生そのものを説明しているのだ。


実は桜だけではなかった

調べていて面白かったのは、歌詞にはこうした定番表現がたくさん存在することだった。

例えば雨。

歌詞になるとやたらと「降りしきる」。

現実ではほとんど使わない言葉なのに、歌になると急に現れる。

徳永英明の『レイニーブルー』にも、

雨の情景と孤独が強く結びついている。

雨はただ降るだけではなく、感情を増幅させる装置として使われる。

だから「降りしきる雨」という表現が好まれる。


恋人はなぜか抱きしめられる

これも昔から不思議だった。

J-POPの恋人たちは本当によく抱きしめられる。

Mr.Children。

B’z。

GLAY。

福山雅治。

サザンオールスターズ。

挙げ始めたらきりがない。

恋愛を描いたヒット曲には驚くほど頻繁に「抱きしめる」が登場する。

考えてみれば、

手を握るでもなく、

肩を寄せるでもなく、

背中を押すでもなく、

なぜ抱きしめるのか。

理由は簡単だ。

愛情も、未練も、再会も、別れも、一言で表現できるからである。

歌詞における「抱きしめる」は万能選手なのだ。


夕方は「黄昏」、炎は「燃え盛る」

さらに探していくと面白い。

歌詞の世界では夕方は「黄昏」になる。

炎は「燃え盛る」。

誰かが決めたわけではない。

しかし多くの作詞家が同じ言葉を選ぶ。

なぜなら、その言葉を聞いただけで情景が浮かぶからだ。

黄昏と聞けば、

終わり

寂しさ

青春

ノスタルジー

を連想する。

燃え盛る炎と聞けば、

情熱

怒り

を連想する。

歌詞は限られた文字数で世界観を伝えなければならない。

だから作詞家は、多くの人が共通して理解できる言葉を使う。


もしかすると、名曲たちへのリスペクトでもある

もう一つ思うことがある。

作詞家もまた、過去の名曲を聴いて育っている。

森山直太朗を聴いた人。

松任谷由実を聴いた人。

中島みゆきを聴いた人。

サザンを聴いた人。

そういう人たちが新しい歌を作る。

すると無意識のうちに、

「桜は舞い散るもの」

という感覚が受け継がれていく。

これは特定の曲の真似ではない。

むしろ日本の歌謡曲文化そのものが受け継がれているのだと思う。


だから今日も桜は舞い散る

昔は

「また桜が舞い散ってる」

と思っていた。

でも今は少し違う。

桜が舞い散るたびに、その表現を使った何十年もの歌が後ろに見える。

作詞家たちは楽をしているわけではない。

むしろ、多くの人が共有している感情に触れるために、その言葉を選んでいるのかもしれない。

だから春になると桜は咲き誇り、そして舞い散る。

きっと来年も。

そしてその次の春も。

日本中の作詞家によって、何度でも。

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